長文

 特定の話題について文意が伝わる範囲でどこまで文章を圧縮できるか、というのがTwitterの要点だと僕は思っている。Twitterの字数制限は日本語版では半角英数字等を用いなければ基本的に140字。大概の学生が使ったことがあるであろう400字詰め原稿用紙の半分にも満たない…と書いても、スマートフォンタブレット、PC等のサイズが原因でどの程度の文章量が140字になるのか、そう簡単には判別できまい。

 

 以上の文章が丁度400字詰め原稿用紙半分、つまり200文字である。

 

 自分はツイ廃と呼ばれる類の人間ほどTwitterにのめり込んではいないと思っているのだが、実際のところTwitterに触れている時間は結構長い。スマートフォンのデータ通信制限が原因でTwitterの更新が遅い時など、「電波を探す」というおよそ現代人とは思えない古風な真似をしてしまう程度にはTwitterに依存している。そもそも通信制限の原因もTwitterであることが多い。

 

 文章形態においても日頃からTwitterの文字数を意識していると言える。レポートなんかを書くときは、140字のツイート何回分の文字数かを計算してからとりかかる。日頃のTwitterへの打鍵をレポートの原稿への打鍵に置き換えるだけだし、多少気が楽になる。

 

 Twitterは基本140字という制限の中にいかに自分が伝えたい情報を詰め込むかが肝要でありながら、文章量がそのまま内容に直結するようなものでもない。文章量だけで内容の是非が決まるというなら、この記事の現在の文字数だけで通常のツイートの4~5倍程度の内容があるということになる。ここまでの文章に果たして明確に内容と言えるものがあっただろうか?

 

1 文章量の削減や簡単な文章を書くことは、文章量の増量や難解な文章を書くことよりもかなり難儀する事柄である。日常会話において発声する機会に恵まれないような、あるいは音読するのが平易ではないような難読漢字で構成された熟語を適宜ばらまきつつ、似たような熟語をいくらか並べ立て、並列に語り、さらに本来不要な言葉で文章を飾り立てれば、もうこれだけで読むのに食指がはたらかない文章の完成である。

 

2 「難解に見えるそれっぽい文章」は、「字数の少ない簡潔な文章」を書くよりも簡単ですよ。日常会話で使わないような熟語ばっかり使って、同じような意味の言葉を並べればそれだけで難解な文章に見えるじゃないですか。そっちの方が頭使わずにできる。

 

 要点は文章量の少ない2で十分伝わるし、明らかにこちらの方がわかりやすい。

 

 1と2は文章の後半、一般に文章の落とし所とされる部分こそ同じように見えるが、実際のところ後半の文章は最初の一文を可能にする手段の説明でしかない。

 

 1の文は「簡単な文章を書くのは難しい」という内容から、「難解な文章の書き方」という形で最初の文章を補強しようとしている。しかしこれは土台無理な話。別に難解な文章を書くことができることと簡単な文章を書くことができないというのは必ずしもイコールではないのだ。

 

 2の文脈には問題がない。「難解な文章は簡単に書ける」ということを「難解な文章の書き方」で補強している。手段が判明しているんだから簡単だよね、という話をしているだけなので、重箱の隅をつつかれるような破綻はない(と思う)。自分で書いておいてどうかと思うが、砕けた口調といい実に日頃のTwitterという趣がある。

 

 が、悲しいかな、Twitterには最大限情報を伝えようと140文字ぎっちり、しかもそれこそ1のように不要な言葉を並べ立てて無駄に修飾してしまった文章が散見される。いや、140字でも足りず、メモ帳のスクリーンショットを画像として掲載するという暴挙も存在するほどだ。情報を伝える手段としてのツイートの質は、含まれた言葉の数や情報量ではなく、読ませる意思があるか、そして正確に伝えきれているかどうかで決まると考えている身としては中々険しいものがある。

 

 メモスクショは真っ当にTwitterを運用している、つまり140文字に慣れた人間ならば絶対に読まない。140文字をオーバーした文章などという代物はそれこそブログにでも書いてURLを貼れ、というのが僕の持論だ。そもそも画像にされると通信制限の時に重くて開けない。140字をオーバーするほどに表明したいお気持ちがあるなら読ませるための努力をしてほしい。

 

 実際、僕も一種の実験的にメモスクショを行ったことがある。やたら「悲しいことがありました」で始まりがちなメモスクショによるお気持ち表明を揶揄するつもりで書いてみたのだが、これが結構面倒で、「批判したい事柄」に対して複数の理由が思いつかないと文章量が増えず、メモスクショのノルマ(?)である「四枚のぎっちり文章が書かれたメモ」に辿り着けないのである。

 

 これを解決するために行ったのが前述の「同じような意味の言葉を繰り返す」であり、「やたら難しい言い回しをする」、というものである。正直書きたい内容はメモ一枚で終わってしまう程度のものだったので、詳細な状況説明や、心底どうでもいい書き手(一応自分を想定したがこんな酷い文章を書く機会は二度とないだろう)の心情を事細かにねちっこく書いた。

 

 それでも途中で飽きてしまった(というかそもそも発生していない事態に怒る熱量があるわけがない)ので、三枚目より後は推しの綾瀬志希の良い所をたくさん書く、というオチに至った。

 

 そちらもそちらで、文章の前半で特定の人間を批判し、冗長な言い回しをして、反語表現を用いて微妙に文を伸ばし、意図して伸ばした癖に字数制限にひっかかったような尻切れトンボの文章…しかも前半で批判した人間に成り下がっている…で終わるという、何段構えなんだか自分でもよくわからない文章になった。正直こっちの方が気合いが入っている。

 

 つまり、前半のお気持ち表明部分はほぼお遊びな上に実際に発生した物事ではないので一切の主張が込められていない。にもかかわらず、メモスクショは画像に細かく文字が書かれているというそれだけで食指がはたらかないものになってしまうのである。特に前半二枚と後半二枚で内容が大きく急展開を迎えるので、前半二枚だけ読んだ人間はこのメモを書いた僕が誰かを攻撃しているものだと考えるだけだし、後半の二枚も読んだ人間は前半の二枚いらないじゃねえかということに気付き、前半二枚は推し語りの口実として適当に作ったものだと考えるだろう。

 

 文章は読ませて初めて情報として機能する。読みにくい文章はただの記号の羅列と同義だ。

 

 これらは伝えようという意思がある場合の工夫の話である。ここまで読み進めた人は伝えようという意思のない僕の文章をよくぞここまで読んだものだ、とビビり散らかしている。

 

 ツイートは句点、句読点を良い感じに入れて、140字に届かないように無駄な言葉を省いて順序良く書きましょう。

 

 以上、20ツイート分の文章をまとめて台無しにする記事でした。